印刷する

ブログ

2016年03月17日

Wonderland, Wonderful place; India

中根 智子 派遣留学プログラム/2002年度採用 奨学期間: 2003年2月~2005年1月
応募時の在籍大学: 立命館大学大学院国際関係研究科
奨学期間中の在籍機関: デリー大学(インド)
現所属: 龍谷大学国際学部グローバルスタディーズ学科講師

(なかね さとこ)福岡県出身
修士(社会学)・博士(国際関係学)
Delhi University, Delhi School of Economics, Department of Sociology留学
立命館大学大学院国際関係研究科博士後期課程修了
2011年9月より現職、龍谷大学国際学部グローバルスタディーズ学科講師
研究テーマ:途上国における子どもの貧困

2年間のインド留学がなければ今の私はないと言っても過言ではありません。インドは素晴らしい人々が暮らすとても魅力的な国です。そこで留学中に経験した喜びも悲しみも、楽しさも苦しさも、すべては今の私を作ってくれた宝です。

 私は2003年から2005年にかけてインドのデリー大学大学院社会学研究科に留学した際に吉田育英会日本人派遣留学プログラムの奨学金を受給させていただきました。留学費用をご支援いただいたことで、私は安心して研究に取り組むことができ、また途上国の不安定な治安の中でも比較的安全な暮らしを送ることができました。この場をお借りして心よりお礼申し上げます。
 この2年間のインド留学がなければ今の私はないと言っても過言ではありません。留学当時、私は博士課程の大学院生で、インド都市部のスラムや路上で暮らす貧困層の人々とりわけ子どもを対象とした研究に取り組み始めたところでした。今後の研究人生を考えた時に、インドでしばらく暮らした経験がなければその先の道を切り開くことはできないと思いましたし、何より研究対象に密着して参与観察や聞き取りを実施する研究方法ゆえに、長期間の現地滞在は必要不可欠でした。
 しかしながら、インドでの暮らしは決して楽なものではありません。私はデリー大学がある首都デリーと調査地のコルカタ(カルカッタ)という2つの都市で多くの時間を過ごしましたが、2000年代前半のインドはまだ都市部でもインターネットは繋がってもすぐに切れてしまうダイアルアップ回線、携帯電話は登場したばかり、コンビニエンスストアはもちろん世界中どこにでも出店しているイメージのあるグローバル企業のハンバーガーチェーン店やピザチェーン店もなく、そもそも農村部では(2010年代後半に入った現在でもそうですが)電気、ガス、水道がない地域も少なくありませんでした。


調査対象地区での暮らし1:路上生活

調査対象地区での暮らし2:スラム

 調査地のコルカタは、インド5大都市の1つに数えられるほどインドでは発展した大都市です。近年、インドの急成長はよく知られていますが、急速な発展のスピードに追いつけないインフラのひとつが電力でした。当日のコルカタでは停電がほとんど毎日起こりましたが、停電がいつ始まるのか事前に知らされない上に、それが5分で済むのか、5時間続くのかもわかりません。停電が日没以降であれば、街全体が暗闇に包まれるので、そうなるともう涼む術のない部屋を出て、ロウソクの明かりを囲んで隣家の人々と縁側に座って談笑する以外できることはありません。蚊にたくさん刺されながら、よくベンガル語を教えてもらいました。
 また、私が暮らした郊外や調査地として通ったスラム地区などでは外国人の姿もほとんど見かけませんでしたので、街中では一見して容姿の違う私はよく物珍しく眺められたものでした。私自身は一度(理由は不明ですが)全裸で歩く男性を街中で見かけたのですが、その時は私以外の誰も彼のその様子に驚いてはいませんでした。日本で、そしておそらく世界のほとんどの街で、全裸の人が外を歩いていたら大騒ぎになります。全裸の男性を誰も気に留めないのに、外国人の私をこんなに珍しがるなんて!と思うと、私には二重の驚きでした。
 街では、牛やヤギの群れが当たり前のように道路を渡っていきますし、猿やゾウが連れられているのを見たこともあります。車の運転には高い技術が求められ、車間距離はほとんどないに等しく、運転中は常にクラクションを鳴らしながら進みます。多くの道路は未舗装のままなので舞い上がる砂埃の中、道はいつも車、路面電車、バイク、リキシャ(人力車)、オートリキシャ、歩行者そして動物たちで溢れているような状態です。
 このような喧騒に満ちた道路脇に、経済的に貧しい人々が生活していることがあります。近年、インドの貧困層の暮らしはかなり改善してきてはいますが、2000年代前半のコルカタにはまだ数ブロック先まで延々と路上生活者が並んで暮らしている通りがいくつもありました。私が調査したコルカタは西ベンガル州の州都で、近隣にはインドで最も貧しいビハール州や世界的にも貧困率が高い国であるバングラデシュがあり、仕事を求める労働者が流入する先となっています。コルカタのスラムや路上で暮らす人々の出身地は、西ベンガル州内の農村およびこれらの近隣州や隣国がほとんどです。単身の出稼ぎ労働者もいますが、多くは家族を連れて都会へやってくるので、親戚を頼ってスラムの一室で暮らしたり、家族と共に路上生活を送ったりします。長い人だと数世代に渡って同じ路上を拠点に生活する家族もいます。つまり、路上生活者の子として生まれて成長し、やがて結婚して路上生活を続けながら子をもうける訳です。
 留学中のフィールドワークでは、こうした背景を持っているスラム居住者や路上生活者の中でも子どもに焦点をあてて聞き取りを行い、1日をどうやって過ごすのか、いつ何をどれくらい食べるのか、入浴や排泄はどこで行うのか、収入を得る手段は何か、楽しみは何か、政府やNGOなどの支援団体からの援助を受けているか等、生活に関わるあらゆることを聞かせてもらいました。加えて、支援に取り組むNGOや地方自治体、インド中央政府やユニセフなどの国際機関を数多く回って貧困脱却の可能性を模索する毎日でした。


NGOが主宰する識字教室に通う子ども達

豆カレーと揚げパン

 インド中央政府の発表によると、貧困線以下で暮らす人々の割合は21.9%(2011)で、およそ13億人いる人口の5人に1人(2.6億人)という計算になります。彼ら・彼女らは教育の機会を奪われ、日雇い労働者や小作人として低賃金の長時間労働に従事しながら、非常に劣悪な生活環境を強いられています。その一方で、インドでは目覚ましい経済発展のお陰で中間層が増加傾向にあり、財閥など昔ながらの資産家や経済成長の波に乗って財をなした富裕層に至っては世界の長者番付に名を連ねるような桁違いの億万長者も多くいます。
 つまりインドは、貧しさと豊かさがどちらも途方もない規模と程度で並存している場所です。私もインドで、路上で暮らす貧しい人もタワーマンションに暮らす豊かな人も含めて、たくさんの友人ができました。貧富の大きな格差だけでなく、インドではインダス文明に始まる悠久で魅惑的な文化も21世紀の最先端をいく高い科学技術も、非常に親しみやすく情熱的な人々の人柄も格式を重視する権威主義的な官僚機構も、すべてが混在しています。そして、こうした多様性こそが現代インドの諸相なのだと言えます。
 このように、何もないように見えて実は何でもありの世界で暮らすと、その千姿万態な有り様に心を打たれます。日本のようには便利な物が簡単に手に入らない場所で暮らすと、ないなりに知恵を絞って工夫する癖がつきます。こちらの想像をはるかに超えて驚くような出来事が続く毎日を送ると、大抵のことには動じなくなります。
 インドは素晴らしい人々が暮らすとても魅力的な国です。そこで留学中に経験した喜びも悲しみも、楽しさも苦しさも、すべては今の私を作ってくれた宝です。


国際学会でのポスター発表

本記事はコメントが許可されておりません。

※寄稿者の状況および記事の内容は、特に記載のない限り、掲載日時点のものです。