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2015年07月14日

奨学金に支えられて実現した大学院博士課程留学

竹村 仁美 派遣留学プログラム/2005年度採用 奨学期間: 2005年9月~2007年12月
応募時の在籍大学: 一橋大学大学院法学研究科
奨学期間中の在籍機関: アイルランド国立大学ゴールウェイ校付属人権センター博士課程
現所属: 愛知県立大学外国語学部国際関係学科准教授

(たけむら ひとみ)東京都出身。2001年3月、東京外国語大学外国語学部ドイツ語学科を卒業。同年4月に一橋大学大学院法学研究科修士課程へ進学、国際公法を専攻。2003年3月、同課程を修了。同年4月、一橋大学大学院法学研究科博士課程へ進学。同年10月、国際刑事法を専門的に研究するため、オランダ、ライデン大学修士課程に入学。2004年7月より、オランダ、ハーグにあった国連の機関、ルワンダ国際刑事法廷上訴裁判部で4ヶ月間のインターンを開始、後に6ヶ月間に延長し、同年12月までオランダに滞在。同年9月、ライデン大学修士課程を修了。2005年3月、オランダ、ハーグ近郊の国際刑事裁判所検察局Legal Advisory Sectionで、6ヶ月間のインターン活動、Legal Clerkshipを開始。同年9月、アイルランド国立大学ゴールウェイ校付属人権センターの博士課程に入学。2007年12月、博士課程口頭試問終了。2008年4月より、九州国際大学法学部にて、国際法の助教として勤務開始。2008年6月にアイルランド国立大学ゴールウェイ校にて、Ph.D.の授与。同年12月、博士論文をInternational Human Right to Conscientious Objection to Military Service and Individual Duties to Disobey Manifestly Illegal Ordersとして出版。2009年4月から2012年9月まで九州国際大学法学部准教授。2012年10月から2015年6月現在に至るまで愛知県立大学外国語学部国際関係学科に准教授として勤務。修士論文では、国際刑事法上の上官命令の抗弁と上官責任の関係性を取り扱い、博士論文では 、国際刑事法上の上官命令の抗弁と国際人権法上の良心的兵役拒否の権利の展開、関係性について論じた。現在も、国際刑事法を中心に研究を行う。

日本人派遣留学プログラムは、博士号を海外で取得しようという学生には最適のプログラムです。日本語以外での論文執筆を志す方、また、明確な目的意識をもって留学を志す方々が、一層のご活躍をされることを期待しますと共に、私も留学経験を教育や研究内容に還元し、研究成果を実りあるものとして行きたいと思います。

■留学準備と奨学金応募
 吉田育英会の奨学金を受給していなければ、今の私はないでしょう。吉田育英会には心から感謝しております。どうもありがとうございました。そして、吉田育英会の派遣奨学生となったことで、奨学金の期間が終了した今でも、毎年の年賀状、懇親会を通じ、吉田育英会から奨学生への温かいご支援が続き、全国のどこで働いていても、いまだ吉田育英会に日々支えて頂いている想いで生活しています。

 留学の準備と、奨学金の応募は、ほぼ同時並行に進めなくてはなくてはなりません。多くの人にとって、両方がうまく行かないと留学は実現し難いでしょう。私が吉田育英会の奨学金に応募したのは、一橋大学大学院法学研究科博士課程の3年目に入った2005年度のことでした。吉田育英会の書類審査に通過した時、私はオランダにある国際刑事裁判所でインターンをしておりましたので、一時帰国して面接に臨みました。

 吉田育英会での面接は、厳しくも和やかな雰囲気で行われたことを昨日のことの様に思い出します。特に、「どうやって息抜き、リラックスしていますか?」とのご質問を頂いて、当時住んでいたオランダには、四季折々の緑を見せる公園が身の回りに多くあったので、私は深く考えずに「緑を見てリラックスします」と回答。面接官のお一人に「科学的に根拠はあるのですか」と問いただされました。これに対して、私は甚だ非科学的な回答をしたと記憶しています。残念ながら具体的に何と回答したか、覚えていないのですが、私の気の抜けた回答に対して、面接官の方々が笑顔で対応して下さって、場の空気が一気に和やかになりました。こうして、幸運にも奨学金を頂けることとなり、既に、アイルランドの大学の博士課程の指導教授から受け入れ許可を得ていたので、すぐ渡航準備となりました。


アイルランド国立大学ゴールウェイ校は
石造りの堅牢な建物で、独特の風格を漂わせていました。

■ケルティック・タイガー
 2005年から2007年末まで、私が留学していた頃のアイルランドはケルティック・タイガーと呼ばれ、同地では未曾有の経済成長の最中でした。特に留学当初は景気が良好でした。カナダ人の指導教授ウィリアム・シャバス先生は、国際人権法、国際刑事法の分野で活躍していることから、アイルランド国立大学ゴールウェイ校付属人権センターのセンター長として、大学側に請われてアイルランドにいらっしゃったようです。一度、同大学の副学長とお話しする機会があり、その指導教授について、各国からヘッドハンティングが止まないけれども、大学側がどうにかつなぎとめていると伺いました。しかし、私が留学を終えた頃、ケルティック・タイガーの勢いが衰え、2011年には、指導教授はロンドンの大学へ移動してしまいました。

 留学中は、アイルランドの好景気に加えて、ユーロ高もあり、頂いていた奨学金の大半が光熱費を含んだルームシェアの家賃に消えておりました。とはいえ、吉田育英会の奨学金を頂きながら、好景気の比較的安全な環境で、時期的にも国際刑事法の研究者として有名な指導教授がいらっしゃる時に留学して勉強できたことは今思えば素晴らしいタイミングでした。



■人権センターでの勉学
 人権センターは、ゴールウェイのナンズ・アイランド(Nun’s Island)と呼ばれるジェイムズ・ジョイス(James Joyce)の著したDublinersという小説中にも言及される場所、コリブ川の中州に立地する小さな黄色の建物です。この2階が指導教授の研究室になっており、その他いくつかの研究室がありました。1階は事務所と小さな演習室と博士課程の学生が研究するスペースが設けられていたので、平日は毎日そこに通いました。奨学金を受給していたので、アイルランド人の博士課程の学生が行っていた人権センターでのリサーチ・アシスタントのアルバイトをすることなく、勉学のみに打ち込むことができました。また、折からの好景気もあり、指導教授が、海外で口頭発表する時には、センターが旅費を全部出してあげるから、博士課程の学生はどんどん海外で口頭報告しなさいと薦めてくださいました。この温かい心遣いのおかげで、遠くはニュージーランドのクライストチャーチへ行ったり、スペインのマドリードでの報告、近くはイギリスのノッティンガムへ行ったりと、海外での報告を行うことができ拙い内容ではありますが、研究業績を積むことができました。

 アイルランドでの生活で困ったことの一つに、建物の名前がアイルランド語(ゲール語)なので、自分の住まいをうまく発音できず、他人に住まいを電話等口頭で伝えられないという問題がありました。アイルランドでは、ほとんどの地域で日常語は英語です。そこで、アイルランド語が廃れないように、国によって厳しい言語政策がとられており、義務教育でアイルランド語が教えられているのはもちろん、公式文書からATMまで目に付く多くのものがアイルランド語と英語の二言語表記となっていました。そういう背景もあってか、最初に住んだところは、Dún na Coiribeという名前の集合住宅で、他人の発音を聞くところ、「デュンナコラブ」とか「ドンナコラブ」といった具合にそもそも発音が三者三様に聞こえて、余計に困りました。また、人名もアイルランド語の名前の人が多く、Róisínは「ロシーン」でバラの意味、Aisilingは「アシュリン」と聞こえて、アイルランド語で夢という意味の女性の名で、綴りだけ見ても読めないことが殆どでした。

 人権センターでは、市民に開放される講演会が定期的に催され、多くの来客がありました。2015年6月現在アイルランド大統領を務めるマイケル・ヒギンズ(Michael D. Higgins)大統領も、私の留学中には、一市民としてセンターの行事に良く顔を出していました。また、お昼時には、ランチタイムセミナーが開催され、各自昼食を持参して気軽に聴講、議論に参加する形式の催しがほぼ毎週ありました。教員の出版した本の出版祝い(Book Launch)などが夕方に開催される場合には、ケイタリングサービスを利用した軽食の出されるレセプションが付き物でした。

 留学して間もない頃、指導教授は、受講義務のない私が退屈しないように、修士課程の国際刑事法の講義に出てごらんとおっしゃって下さいました。当時、指導教授はシエラレオネ真実和解委員会の委員の任務を務め終えたばかりで、その逸話などご自身の経験を多く盛り込んだ講義内容は、類を見ない面白さがありました。お忙しい中にあっても、指導教授は講義の時間を大切にしておられて、惜しみなく自身の経験や着想を学生と共有して下さいました。ある時は、研究室に私を招き、パソコンのワープロソフトのアウトライン機能が論文の執筆に便利であるからと技術的なことまで教えて下さいました。

 指導教授は、博士課程の学生と国際司法裁判所や欧州人権裁判所の判例を読むゼミを毎月1回行っておりました。判例のどの部分が自分の博士論文に役立ちそうかを毎回尋ねられるのと、学生皆が争点について積極的に発言するので、とても緊張感のある時間でした。緊張感はありながらも、このゼミは、写真のように、穏やかな気候の時には屋外で行われることもあり、皆仲良く、機知に富んだ会話を好む大人の学生ばかりで、常に明るい雰囲気でした。また、毎年4月に、博士課程の学生が博士論文の内容を報告するPh.D.セミナーという催しもあり、その際にも必ず指導教授が海外ゲストとしてアメリカ等各国の大学教授をコメンテーターとして招いて下さって充実した時間を過ごせました。


Nun's Islandにある黄色の小さな建物が大学付属の人権センターです。留学期間のほとんどをこの建物で過ごしました。

Ph.D. セミナーと呼ばれる毎月の博士課程のゼミは屋外で行われることもありました。

■ゴールウェイ
 ゴールウェイは、ダブリン空港からバスで4時間ほど掛かります。ゴールウェイとダブリン間の移動時間の長さ故、車内で事件が起こることもあり、乗客が荷台の荷物の盗難に遭って、警察を呼び、バスの中で捜査活動が行われたこともありました。

 留学当時、交通だけでなく、インフラ整備が十分でない印象で、2007年にはゴールウェイの水道水源から寄生虫のクリプトスポリジウムが発見され、社会問題となりました。

 ゴールウェイは港町で土地柄海洋法研究も盛んでした。私が留学を始めた頃まで一橋大学大学院の国際法専攻の先輩がアイルランド国立大学海洋法・海洋政策センターで、研究員として勤務されていたので、ゴールウェイに着いてから一度お目に掛かって、町の地図を頂き、とても助かりました。その後、一度だけゴールウェイ大聖堂の前で、ご夫婦で歩かれている所に遭遇し、奥様から「夜中の3時、4時までクラブで遊んでいるような人が、明け方浜辺に打ち上げられるんですよ」と警告を受け、自分には関係なさそうな話に思えましたが、とても衝撃的だったので今でもその言葉をよく覚えています。

 一橋大学大学院の指導教授佐藤哲夫先生のゼミにいた先輩、同期、後輩には大変お世話になりました。当時留学中の先輩、後輩が、各自の留学先からゴールウェイへ遊びに来てくださって励みになりましたし、お互いの近況をメール、電話で報告し合えたことは心強い限りでした。そして、指導教授の佐藤先生が、留学中の私をご指導、ご支援下さって、留学を温かく見守って下さいましたことに深く感謝しております。

 ゴールウェイでは、1年に1度の牡蠣フェスティバルが開催される他、近郊の観光地としてはスパニッシュ・アーチ、ソルトヒルと呼ばれる海岸、アラン諸島、モハーの断崖、コネマラなどが有名です。断崖は、私の留学当時、無料の観光地で、大した柵もありませんでした。アイルランドはオランダ同様天候不安定なので、空の向こうからモハーの崖に向かって雨雲が近づくのが見えるや否や退散せねばなりません。それでも、晴れていると、崖の上の緑と海の輝きがきれいで、清々しい場所でした。アイルランドのコネマラ地方には、自然も多く、フィヨルドを巡る簡単な船のツアーがあったので、一度公共交通機関を使って一人で訪れました。コネマラには、指導教授が住んでいたこともあって、何度か訪れる機会がありましたが、フィヨルドの景色を見たのは一度だけとなってしまいました。

■吉田育英会のご支援
 アイルランドから帰国し、吉田育英会へご挨拶に伺った時には、留学からの無事帰国を歓迎して下さって、育英会幹部の方々が海外でご活躍されていたご自身の経験を私の経験と照らしてそれぞれにお話しして下さり、楽しいひとときを過ごしました。また、吉田育英会は、日本各地で奨学生懇親会も開催して下さって、最初の就職先の福岡県や現在の勤務先の愛知県で、他分野の学生や研究者と知り合う機会を得て、大変ありがたく感謝しております。私の研究分野は社会科学系なので、九州大学、名古屋大学の理系の院生、研究者の方々の研究内容や研究方法を伺うことができるのは貴重な経験で、毎回とても楽しみです。仕事で懇親会に参加できない年もあるので、吉田育英会の方々とお目に掛かれるのは、2、3年に1度ではありますが、前回お話しさせて頂いた内容を覚えていて下さいまして、会う度、私の様子を気遣ってそっと励まして頂けるのも、とてもありがたく、励みになっております。吉田育英会の奨学生になれたことで、企業、社会との接点ができたことも、学問の世界に身を置く自分にとっては、大変貴重なことでした。

■おわりに 
 留学を思い返すと、人との出会いに恵まれたおかげともいえますが、留学中の苦労は思い出すことが難しく、楽しい思い出が記憶に強く残っています。振り返って、留学中、特に大変であったことといえば、アイルランドの変わりやすい天候、外出を妨げる暴風雨くらいでしょう。これも買いだめなどで容易に解決する問題であり、難問ではありませんでした。

 吉田育英会の奨学金により、海外で留学する機会を与えて頂いて、その目に見える成果として、拙いながらも博士論文を書き終えることができました。日本人派遣留学プログラムは、博士号を海外で取得しようという日本人の学生には最適のプログラムです。日本語以外での論文執筆を志す方、また、明確な目的意識をもって留学を志す方々が、吉田育英会の奨学金制度を通じて、一層のご活躍をされることを期待しますと共に、自分も吉田育英会の奨学生としてその名に恥じない様、今後とも一層研鑽を積み、留学経験を教育や研究内容に還元し、研究成果を実りあるものとして行きたいと思います。

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