2011年09月02日
バーミンガムでの研究生活は刺激に満ちている一方、歴史学の分野でアフリカや欧米出身の学生と同様の成果を出す難しさを感じる時期もありました。この留学を通して、円滑に現地での研究・生活を楽しむためのコミュニケーション能力と、健康を保ちつつ粘り強く作業を続けることの重要性を学びました。
私は2006年10月から、吉田育英会の日本人派遣留学生としてバーミンガム大学大学院西アフリカ研究所の博士課程に留学しました。留学前は、英領ラゴス(ナイジェリア南西部)のアフリカ人エリートが携わった任意団体活動に注目してきましたが、その過程で、アフリカ研究の専門教育機関に所属する必要性を感じました。そこで、同研究所を留学先として選び、ヨルバ民族を専門とする文化人類学者のカーリン・バーバー(Prof. Karin Barber)先生とナイジェリア政治史専門のインサ・ノルト(Dr. Insa Nolte)先生のもとで研究を始めました。
留学1年目は、ヨルバ文化・言語の授業や歴史学学部主催のセミナーに出席しながら研究の方向性を考察し、2年目には、ナイジェリアのイバダン大学図書館やナイジェリア国立史料館で史料収集を行うとともに、1880年から1920年のラゴスで出版された新聞の読み込みに専念しました。3年目以降は、学科主催のセミナーや学会に出席するほかは、資料の分析及び論文執筆中心の生活を送りました。その中で、2年目以降は研究計画が認められ、イギリス政府海外研究生学費減額制度(Overseas Research Student Awards)と、バーミンガム大学歴史学学部学費補助金(History & West African Studies Award)を合わせた学費免除生に選出していただきました。これは、すでに貴会の奨学生であるという事実が、研究の将来性を説得する大きな手助けになったと考えます。
博士論文では、19世紀後半から20世紀初頭のナイジェリア南西部における記念事業、農業、労働組合、イギリス帝国に関わる任意団体活動の新聞描写を考察しました。この論文は、一次史料と二次資料を読み込みながら、指導教官とのミーティングを繰り返して辿り着いたものでした。
西アフリカ研究所での生活は、刺激に満ちている一方で、慣れ親しんだテーマを研究するアフリカ出身学生や欧米の学生と同様の成果を求められ、時に自分が途方もなく高い壁を登っているような感覚に襲われました。そんな辛い時期には、貴会からいただくメールやカードがとりわけ嬉しく、また、イギリスで歴史学を学ぶ日本人大学院生のネットワークに助けられたこともありました。
バーミンガムは、ロンドンから電車で一時間半弱のイギリス第二の都市です。日常生活の面では、研究に追われつつも、学科内外の友人と時折コンサートや映画に出かけ、お互いの家を行き来して食事会を開くこともありました。住居に関しては、留学1年目は大学寮のバス・トイレ付個室で快適に過ごしておりましたが、2年目からハウスシェアを始めたため、家賃は安くなったものの、生活リズムや家事の分担に関する意見の相違にストレスを感じ、快適な空間を作るまでに時間を要してしまいました。
私はこの留学を通して、専門分野に関する知識や英語力とともに、円滑に留学生活を送るためのコミュニケーション能力、さらに、健康を保ちつつ粘り強く研究を続けることの重要性を学びました。
私が周りの方々に支えられながら研究を続けさせていただいているように、将来は教育者として社会に貢献していければと考えております。最後に、物心両面での温かいご支援で私の留学生活を支えてくださった吉田育英会の皆さまに、心より御礼申し上げます。
※寄稿者の状況および記事の内容は、特に記載のない限り、掲載日時点のものです。