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2015年07月10日

‘Pleasures and pains’

長瀬 真理子 派遣留学プログラム/2007年度採用 奨学期間: 2007年10月~2010年9月
応募時の在籍大学: 九州大学大学院人文科学府
奨学期間中の在籍機関: 英国バーミンガム大学大学院シェイクスピア・インスティテュート博士課程
現所属: 九州工業大学大学院情報工学研究院准教授

(ながせ まりこ)2000年、九州大学文学部卒業。2001年10月~2002年9月、バーミンガム大学大学院シェイクスピア・インスティテュート大学間協定派遣留学。2003年九州大学大学院人文科学府言語・文学専攻修士課程修了。2007年9月、九州大学大学院人文科学府言語・文学専攻博士課程単位修得退学。2012年、英国バーミンガム大学大学院シェイクスピア・インスティテュート博士課程修了(PhD in English)。2012年4月~2014年9月、九州工業大学大学院情報工学研究院人間科学講師。2014年10月~現在、九州工業大学大学院情報工学研究院人間科学准教授。
研究テーマ:初期近代イギリス劇作出版における文学編集確立の歴史

何か一つのことを成し遂げようとする時、苦しみと喜びは常に表裏一体です。その仕事ができること自体は喜びですが、結果を出そうとする工程には苦しみが伴います。苦しみを肯定することで、私たちは一つの仕事を成し遂げられるのかもしれません。留学という苦しくも喜びに満ちた経験によって、今の私という人間が作られたと思っています。

  私が吉田育英会について初めて耳にしたのは、2001年に交換留学で訪れていたイギリスでのことでした。「文系、理系の別を問わず、海外の大学院でPhDを取得しようとする研究者を支援される日本の財団がある」とのこと。その頃の私には、まさか自分が奨学生としてご支援を頂くことになろうとは夢にも思わないことでした。
  一度目の留学時に初期近代イギリス劇作の書誌学・本文研究に魅了され、帰国後も研究を続けるため九州大学の博士課程に進みました。在学中は、主に国内の大学に所蔵されている16-17世紀の古版本のファクシミリや海外の図書館から取り寄せたマニュスクリプトのコピーを使って勉強し、20世紀初頭から当時までに出版された主要な研究書や論文にもほぼ目を通しました。日本でできることは一通りやりきり、次のステップとして、原書を所蔵する国の大学院で書誌学・本文研究のトレーニングを受けることは、私にとってごく自然な選択だったように思います。前回の留学経験とそれまでに読んでいた論文から、この研究分野ではこの人以上にシビアな研究者はいないだろうと、バーミンガム大学大学院シェイクスピア・インスティテユートのジョン・ジャウィット教授に師事することを希望して、2005年の冬からPhDコースへの留学申請準備に取り掛かりました。吉田育英会の派遣留学プログラムに応募したのは2006年のことです。
  個人的には、シェイクスピア・インスティテュートのPhDコースに入学するより、吉田育英会の派遣奨学生として選んで頂くことの方がはるかに難関だと感じていました。それぞれの分野で最前線に向かおうという志を持った研究者をどのように審査されるのか、当時は想像もつきません。しかし、学内選考を経て呼んで頂いた面接は、これまでに受けた中で、最も楽しく充実した面接でした。研究内容のプレゼンテーションを行った後に頂戴した「面白い」の一言に、審査を受けていることも忘れて研究のお話をさせて頂いたのを覚えています。この面接でかけて頂いたお言葉に強く背中を押されました。そして、当会のご支援を賜り、経済的な心配を抱えることなく研究に集中できる環境が整ったことは何よりありがたいことでした。



シェイクスピア・インスティテュート。正面右手が図書館、
左手が校舎。

  こうして、2007年10月よりシェイクスピア・インスティテュートのPhDコースに入学しました。シェイクスピア・インスティテュートの校舎は、バーミンガム大学のメインキャンパスから南に40 km離れた、シェイクスピアの生誕地ストラトフォード・アポン・エイボンにある旧マリー・コレリ邸です。入学から間もなくは、隔週で論文指導を受ける傍ら、全新入生に義務付けられているリサーチ・スキルズのコースを受講したり、町のシェイクスピア・センターで16-17世紀のマニュスクリプトを解読する古文書学の授業を受けるなど、忙しくも充実した日々でした。日本ではマイクロフィルムから必要な古版本のファクシミリを印刷してもらっていましたが、留学先ではEEBO (Early English Books Online)というデータベースを利用し、次々と文献を横断して調査を行うことができる環境にも恵まれました。当時日本でEEBOを導入していた大学は五つほどではなかったでしょうか。
  博士論文については、まずは一章分、目を通すべき文献一覧の作成に始まり、研究対象である出版者の手懸けた仕事のマッピング、エッセイの執筆という順序で仕事を進めました。師事を希望していたジャウィット教授が研究休暇中でしたので、休暇が終わるまでの二か月間は代理のキャスリン・マクラスキー教授にご指導頂きました。この頃の、二週間に一度のスーパーヴィジョンは、頻繁にフィードバックが頂けるという点で励みになり、リサーチのリズムを形成するのに大変役立ったように思います。また、短期間ではあれ、最終的にお二人の先生の指導に与かれたことも、異なるアプローチを学ぶ貴重な機会でした。
  しかし、すべてのことが計画通りに進んだわけではありません。渡英前に留学の最大の目的として考えていた古版本やマニュスクリプトの原物調査に取り掛かれたのは、本来の指導教官であるジャウィット教授のスーパーヴィジョンが始まって、数か月もたってからのことでした。しかも、最初のリサーチ対象として指示されたのは、フランスの人文学者スカリゲルによるOpus Novum de Emendatione Temporum (1629年版)です。イギリス劇作でもなければ、英語で書かれたものでもなく、おまけに英訳すら存在しないという、ラテン語が初級者レベルの私にはとても把握可能な対象ではありません。
  そもそも、私は、初期近代イギリスで制作された劇作を文学読本として売り出すことを意図した出版編集の発達過程を研究することを志していました。イギリスで出版された劇作に当たるのが研究の本筋と考えていましたし、対象がそこに絞られていれば何とかやりこなす自信もありました。全く馴染みのない書物の調査を提案されて面食らっている私に、指導教官はこう言われます。「編集文化の波は大陸から押し寄せてきたものです。編集という概念そのものが発達する全体像を把握してから局所的な問題に移りましょう。」
  一向に進まないスカリゲルの調査に苛立ち、スランプに陥りながら、このまま行けば確実に落第だと暗い気持ちで毎日書物に向かいました。スカリゲルの次はヨハン・アーメルバッハ、続いて古典編集においてはアーメルバッハの実質的後継者となるエラスムスと、専門分野外のヨーロッパ古典文学における編集の歴史について、全体像が掴めるまでには数か月を要しました。
  慣れないラテン語との格闘に意気消沈した日々の中で、励みの一つとなったのは、古典編集に勤しんだ前出の編集者たちが、自らの編集作業とその先にある出版を‘renascore’と称していたことでした。‘Renascore’とは「蘇生」を意味します。文字通り‘Renaissance’の語源です。編集者たちが収集した写本の断片からエラーを取り除き、作家の言葉が口述筆記で書き留められる前の完全無欠な状態のテクストを復刻しようというのです。「完全無欠なテクスト」という理想には、それが実在したと言えるかどうか、もちろん議論の余地もありますが、編集者たちの記録を読みながら、彼らの、血のにじむような編集作業なしに、古典は今に伝えられなかったことを感慨深く思いました。
  ようやく初期の研究計画に則り、16-17世紀イギリス劇作の研究に戻った頃には、2009年に差し掛かかろうとしていました。それから大急ぎで古版本の原物に当たり、活字と組み版、使用された紙など本の組成についても調査を進めました。無記名印刷物の印刷者特定など、多少は学界に貢献できる成果も出せたように思います。留学中、学会発表や論文の投稿など、刺激的な活動にも恵まれながら、最終的に博士論文を提出できたのは2012年の1月でした。


学位授与式。ジョン・ジャウィット教授(中央)と
ハリー・ニューマン。

2年間お世話になった下宿のピーターさんと
バーミンガムのメイン・キャンパスにて。

  英語でも‘Pleasures and pains’と言って、苦楽はほとんどの場合、相対するものとして捉えられています。しかし、何か一つのことを成し遂げようとする時、苦しみと喜びは常に表裏一体です。成し遂げようと欲する対象ですから、その仕事ができること自体は喜びですが、結果を出そうとする工程には苦しみが伴います。この苦しみはエラスムスをはじめとする編集者たちも味わった普遍的な経験です。彼らの編纂した古典作品が印刷され日の目を見た時、序文で編集者が語ったのは、テクストを蘇生させる過程の生みの苦しみでした。留学や論文の作成に限らず、苦しみを肯定することで、私たちは一つの仕事を成し遂げられるのかもしれません。留学という苦しくも喜びに満ちた経験によって、今の私という人間が作られたと思っています。吉田育英会のご支援なしには実現しなかったことです。今後も研究はもとより、携わるすべての仕事において、この経験を還元できるよう努力を続けてまいりたいと思います。


2015年3月、British Library入口にある‘Sitting on History’にて。

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