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ブログ

2014年10月08日

橋から飛び降りる前後に考えたこと

北村 紗衣 派遣留学プログラム/2009年度採用 奨学期間: 2009年9月~2012年8月
応募時の在籍大学: 東京大学大学院総合文化研究科
奨学期間中の在籍機関: キングズ・カレッジ・ロンドン(英国)英文学科博士課程
現所属: 武蔵大学人文学部英語英米文化学科専任講師

(きたむら さえ)北海道士別市出身。2006年3月、東京大学教養学部超域文化科学科表象文化論卒業。2008年3月、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論修士課程修了。2008年4月に日本学術振興会特別研究員(DC1)として同博士課程に進学するが、2009年10月より特別研究員を辞退し、東京大学大学院を休学してキングズ・カレッジ・ロンドン(King’s College London)英文学科博士課程に入学。東京大学大学院は2012年9月に退学する。2013年4月にキングズ・カレッジ・ロンドンに博士論文を提出して帰国し、東京大学教養学部英語部会非常勤講師及び雄松堂ワールド・アンティーク・ブック・プラザ契約社員となる。2013年10月、キングズ・カレッジ・ロンドンよりPhD (English) の学位を授与される。 ほぼ同時に慶應義塾大学文学部非常勤講師を兼務するようになる。2014年2月に雄松堂ワールド・アンティーク・ブック・プラザを退職。同年4月より武蔵大学人文学部英語英米文化学科専任講師となる。主な研究テーマはジェンダーとシェイクスピアの受容であり、博士論文のタイトルは ‘The Role of Women in the Canonisation of Shakespeare: From Elizabethan Theatre to the Shakespeare Jubilee’ 「シェイクスピアの正典化における女性の役割――エリザベス朝演劇からシェイクスピア・ジュビリーまで」である。

留学はめげずに夢を見ることが大事だと思います。留学中、嫌なことがたくさんあって1、2日は研究が手につかなくても、その後はできるだけめげないで、博士になった自分を夢見ながら研究をすることで復活することができました。


 2011年7月、私はニュージーランド、オークランド市のハーバーブリッジから飛び降りようとしていました。このときはシェイクスピアのファースト・フォリオ及びサード・フォリオの調査と、オーストラリア・ニュージーランドポピュラーカルチャー学会で研究発表をするためにロンドンからニュージーランドに来ていたのですが、学会が終わったのにロンドンまで帰る飛行機の接続が悪く、空き時間ができてしまったので、その間にバンジージャンプでもしようかと思ったのです。ふと思い立って飛び降りることにしたのでミニスカートをはいており、また私は平均的なニュージーランド人に比べると大変背が低いので、これにバンジージャンプ用の防具をつけるとスカートはぐちゃぐちゃになるわ、全身から防具の余ったヒモが出てぴらぴらと風にたなびいているわ、見苦しいとしか言えない姿で飛び降りることになりました。

 橋の上から飛び降りると、目の前に広がるのは水面だけになります。まっすぐ上からさざ波の動きだけを見るというのは、なかなか普段やらないことなので、この景色は思ったより新鮮でした。全身で風を受けながら水面に近づいていきますが、水に落ちる前にゴムがはずんでまた水から離れます。いつもと違う見方からものを見て、近づいたと思ったけど結局触る前に離れてしまう…なんだ、研究と同じじゃないか、と思いました。研究をしていると、核心に近づいたと思ったのに結局それ以上対象に近づけなかった、などというのは日常茶飯事です。バンジージャンプも研究もたいして変わりません。同じように危険です。

 オークランドでバンジージャンプをしたと家族や友人に話すと、皆に「あんな怖いことをするなんて信じられない」「おかしいと思う」と言われます。しかしながら、私はこの少し前に落第から猛勉強して進級するという(自称)奇跡の復活を成し遂げていたため、成績以外のもので落ちることに関しては怖くもなんともなかったのです。

 私は北海道の田舎で育ったため、そもそも留学するまであまり海外に行ったことがありませんでした。学部生の頃から留学を目指してアルバイトでお金をためていたため、他の友達がしているようにアルバイトのお給料を使って休みに短期で旅行に行くことなどもほとんどなく、2009年に博士課程に進学するためロンドンに行ったのがはじめての渡英でした。卒業論文も修士論文も日本語で書いていたため、修士論文の一部を英訳してキングズ・カレッジ・ロンドンに入試用に送った以外は、英語でまとまったものを書いた経験もほとんどありませんでした。ふつう、イングランドの大学院に留学する人はMA(修士課程)から行くことが多いのですが、私は直接、博士課程に入ったため、最初の1年は苦労の連続でした。英国の大学院博士課程では、アップグレードといって最初の1年くらいで博士論文の第一章を書いてMPhilと呼ばれるポジションに進級し、博士論文を提出する資格を得る必要があります(これはアメリカなどで言うPhD candidateに近いものだと思います)。私はあまりにも英語が書けなかったため、この最初の試験で落第してしまいました。ここからは猛勉強し、調査の方針も変えて再試験にチャレンジし、無事アップグレードを果たしました。

 ニュージーランドに行ったのは、このアップグレードを果たした後でした。私の博士論文のテーマは「シェイクスピアの正典化における女性の役割――エリザベス朝演劇からシェイクスピア・ジュビリーまで」というもので、主に17-18世紀半ば頃までの女性の観客や読者がシェイクスピアのお芝居をどう受容していたのかを研究していました。研究の方法としては、主に女性が書いたシェイクスピアの批評や検討作品する一方、女性の読者がシェイクスピア作品を収めた戯曲本に残したサインや蔵書票、書き込みなどを手がかりに、本が女性の間でどう用いられたのかを調べていました。2011年の7月にニュージーランドに行ったのは学会発表のためでしたが、オークランドには市立図書館に17世紀のシェイクスピア戯曲の刊本があるということだったので、ダメもとで見に行こうと思っていました。

 オークランド市立図書館では、お目当てのファースト・フォリオ(1623年に刊行された最初のシェイクスピア全集)からはたいした収穫がありませんでしたが、全く期待せずに請求したサード・フォリオ(1663-64年に発行された三番目の全集)から思わぬ事実が判明しました。この本は18世紀にオクスフォードに住んでいた学者夫妻の蔵書で、それを19世紀に英国からニュージーランドに移民してきた孫娘がわざわざ船で持ってきたものであるということがわかったのです。この本にはもとの所有者のひ孫にあたる人物の手紙の複写がついており、「うちのひいおばあちゃんの大事な本が、図書館できちんと管理されていないかもしれない」というような文句が書かれています。こうした古い本や古い手紙の切れ端などからは、過去の人々の生き生きとした読書活動が垣間見えてきます。とくにこの本は18世紀にシェイクスピアを読んでいた女性について多くのことを教えてくれるものであり、私の博士論文の重要な一節になりました。

 このような思わぬ史料との出会いに助けられ、落第にもめげなかったおかげで、どうにか入学して3年半で博士論文を提出し、ちょうど4年で学位をとることができました。この時は本当に嬉しかったです。私は田舎で育ったので、子どもの頃は海外に住むことなんて考えたこともありませんでしたし、英語で話し、ロンドンに住んで、英語圏の大学で学位を取るなどというのは夢のまた夢のような話でした。2014年の1月にはロンドンのバービカン・センターで卒業式があり、私もアカデミックガウン(なんと、有名なデザイナーのヴィヴィアン・ウェストウッドがデザインしています)を着て出席しましたが、この時の私はまるで灰の中から抜け出して初めてピカピカのドレスを着たシンデレラのように誇らしい気分でした(この有頂天ぶりは上の写真にも表れていると思います)。いくら留学に備えて貯金をしていたとはいえ、3年以上かかる留学をまかなうには到底足りません。そこに現れて奨学金を提供してくれた吉田育英会は、私にとってはシンデレラに出てくる妖精のゴッドマザーのように思えます。

 最後にひとつ書いておくとすると、やはり留学はめげずに夢を見ることが大事だと思います。私は留学中、落第したり、異常に不味い食べ物に悩まされたり、住んでいる家のトイレが床から外れたまま直らなくなったり(大家さんは帰国するまでとうとうトイレを直してくれませんでした)、すぐ近くで暴動が発生したりしましたが、嫌なことがたくさんあって1、2日は研究が手につかなくても、その後はできるだけめげないで、博士になった自分を夢見ながら研究をすることで復活することができました。とくに私はシェイクスピアのお芝居という舞台芸術を研究していたため、落ち込むようなことがあっても、劇場に行って芝居を見ている間は全て忘れることができました。『ハムレット』で主人公であるデンマーク王子ハムレットが言っているように、お芝居は「自然に鏡をかかげて」よりよく見えるようにするものであり、舞台はイリュージョンの力で束の間の夢を見せてくれる空間ですが、一方でそこに表れるものは夢まぼろしのようでありながらもいっそうあざやかに現実の姿を反映するものでもあります。博士論文の仕上げ段階になっても舞台を見るのはやめませんでしたが、そうすることで夢を見るエネルギーをもらえたような気がしています。




オークランドのハーバーブリッジ



キングズ・カレッジ・ロンドンの卒業式にて



キングズ・カレッジ・ロンドンのマスコットであるライオンのレジィ

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