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2018年01月11日

マスター21採用後の12年間を振り返って

篠田 一馬 マスター21/2005年度採用 奨学期間:2005年4月~2007年3月
奨学期間中の在籍大学:新潟大学大学院自然科学研究科修士課程
現所属:宇都宮大学大学院工学研究科 助教

(しのだ かずま)
2005年3月 新潟大学工学部電気電子工学科 卒業
2005年4月 新潟大学大学院自然科学研究科 入学
2007年3月 新潟大学大学院自然科学研究科修士課程 修了
2007年4月-2009年3月 ソニー株式会社
2009年4月 東京工業大学大学院総合理工学研究科 入学
2011年6月 東京工業大学大学院総合理工学研究科博士課程 修了(短縮修了)
2011年7月-2012年3月 東京工業大学学術国際情報センター 特別研究員(日本学術振興会特別研究員 PD)
2011年9月-2012年2月 南カリフォルニア大学 客員研究員(学振PDと兼務)
2012年4月-現在 埼玉医科大学保健医療学部 特任研究員(2012年12月から宇大と兼務)
2012年12月-現在 宇都宮大学大学院工学研究科 助教
         デジタル画像(RGB,分光,偏光)の撮影、処理、圧縮、
         およびその医療・農業応用に関する研究に従事。
         ISO/IEC JTC1/SC29 WG1(JPEG)国内小委員会 委員。

奨学生採用による経済的・時間的余裕は、研究活動の自由度を高めることに間違いありません。周囲の環境や目前の問題にとらわれることなく、自身のキャリアプランに従った行動をとることで、想像もしなかった世界が開けるかもしれません。

● はじめに
 まず、本記事を執筆する機会を与えて下さいました吉田育英会に、深く感謝いたします。
 奨学生の皆様、また、特にこれから申請を検討されている方にとって本記事が参考になれば幸いですが、私のマスター21の採用期間が終わってから10年以上が経ち、考え方も環境も時代に伴って変わっていると思います。加えて、私の境遇が少し特異なことから、皆様の参考になるような内容であるか定かではありませんが、一研究者としてのこれまでの経緯をご紹介したいと思います。

● マスター21採用から修士課程修了まで
 かなりの年数が経ち、もう憶えている方も少ないと思いますが、2004年10月23日、新潟県中越地震が発生しました。当時の私は新潟大学の学部4年生で、マスター21への採用も決まっており、修士課程に安心して進学できることから、毎日研究に励んでいました。内容はデジタル画像の圧縮に関するもので、当時の国際標準方式を超える圧縮性能を目指すテーマだったため、その魅力からパソコンにかじりつく毎日でした。しかし、震災の日を境に、私を取り巻く環境が少し変わりました。幸い、家族は全員怪我もなく無事でしたが、経済的にはそれまで通りとはいかず、マスター21のおかげで博士前期課程は進めそうなものの、後期課程まで進むことは、例え奨学金があったとしても困難な状況になりました。大学の研究職を強く志望していた私にとっては大変ショックなことで、働きながら博士を取得して必ず大学に戻ってくるという気持ちと同時に、もしかすると修士論文が最後の研究になるかもしれないという不安から、就職活動もそこそこに、がむしゃらに研究をした思い出があります。全てを出し切る思いで望んだ修論発表会では、私の研究成果をどうか見て欲しいという思いから、聴衆一人ひとりの顔をくまなく見ながらプレゼンをした記憶があります。プレゼンの最中は学生を含め誰も寝ている人がいなかったこと、そして(普段はプレゼンに対する感想を言わない)指導教員から一言「よかった」と言われたことは、今でも自信の源となっています。

● 企業での経験
 就職してからは業務用ディスプレイの商品開発・設計部署に配属され、主に色再現に関する検討を行いました。部署の雰囲気は非常に穏やかで、労働環境も良く、開発する商品も世界一を志向するものだったため、やりがいがある仕事でした。しかし、これまで自分が行ってきた研究とは異なる分野であり、このままでは大学への復帰や学位取得が難しくなると考え、休日は独学で研究を進めるようになりました。
 このころは研究に関して身近に頼れる相手がいなかったため、一人で研究をしていると、この検討は本当に正しいのか、自分は本来やるべき会社の仕事から目を背けているだけではないのか、という疑念が頭をよぎるようになりました。そこで、自身の研究ビジョンをまとめ、様々な関連研究室を訪問したり(今振り返ると迷惑だったと思いますが)、休日に学会に参加したりするなど、少しでも研究を前に進めるために試行錯誤をした結果、東工大の研究室から博士後期課程の学生としての受け入れの承諾を得ました。
 一方で、当時の社則上、社会人ドクターになることは難しく、学位を取るためには会社を辞めざるを得ない状況でした。経済面で十分な蓄えがあるとはいえない状況でしたが、私にとっては研究ができなくなる人生は想像ができませんでした。友人、上司からも様々なアドバイスをいただき、職場に不満はありませんでしたが、やはり自分の人生は自分にとって価値のある選択をしたいと考え、後期課程の学費および生活費が貯まった時点で、退職願を提出しました。

Twin Peaks @San Francisco, USAにて。
映像評価用素材の撮影出張に同行させてもらえるなど、貴重な経験ができ、最高の職場でした。

● 大学復帰後
 大学(東工大)に戻ってからの研究生活は、夢のような日々でした。大学では24時間いつでも自分の研究ができ、論文は読み放題、議論する相手がいつでも身近にいて、自分の研究プランを発表できる場が提供されることに、感謝する毎日でした。企業に在籍している間に多くの学会や研究室を訪問したことも功を奏し、学会に行く度に様々な先生から声をかけられ、大学に復帰したことの激励や、時には委員会の実行委員に推薦されるなど、日に日に世界が広がっていく実感がありました。結果として、学位は2年3ヶ月で修得することができ、経済的に何の問題もなく卒業することができました。
 それから半年間は、学振PDの期間を利用して南カリフォルニア大学で研究を行いましたが、この半年間の滞在は非常に刺激的なものでした。当時は分光画像撮影のためのフィルタ設計および符号化の検討を行い、国際会議発表を二件行うことができたため、成果としては満足でしたが、それよりも研究に対するアプローチ方法や考え方について、学ぶことが多かったと思います。例えば、勤務時間や成果報告の義務について先方に尋ねたとき、特に制約はない、と言われたことです。研究をどのように進めるかは個人の自由であり、多く成果を出すほどその後のキャリアの選択肢は広がり、少ないほど狭まるだけとのことでした。大学で研究をするということは、研究のテーマ設定や作業量の自由度は高い一方で、その研究が自分や社会にもたらす影響も自分次第、ということを実感したときでした。

University of Southern Californiaの滞在研究室にて。
個々人の活動の自由度が高いだけでなく、教員の誕生日を全員で祝うなど、アットホームな雰囲気でした。

 現在、私は宇都宮大学に助教として在籍するとともに、埼玉医科大学で特任研究員も兼務し、研究活動を行っています。最初のころはRGB画像情報の符号化や解析の研究をしていましたが、それだけでは正確な情報を得られないことから、様々な光を正確に撮影できるような全く新しい仕組みのカメラを一から開発し、それを医療現場に役立てるための研究を行っています。ここまで到達できたことは、自分自身を見失わず将来像を追い求めたことに加え、大学訪問や学会で知り合った先生方からの助言や、吉田育英会のような同世代異分野の集まりにおける刺激のおかげだったと思います。これからは、研究をより発展させるための挑戦を続けると同時に、これまで支えて頂いた吉田育英会を含めた皆様に恩返しをする意味で、研究成果を社会に還元する時期だと考えています。

● 最後に
 私の場合、もしマスター21に採用されていなければ、研究者として大学に残ることは非常に困難な状況であったため、本会の奨学生に採用されたことは、自分の人生にとって大きな転機の一つとなっています。また、そうでなくとも、奨学生となることにより生じる経済的・時間的余裕は、研究活動の自由度を高めることに間違いはないと思います。その間で何をするかは、ひたすら研究に没頭する、人脈を広げる、休息する等、人によって様々だと思います。いずれにせよ、周囲の環境や目前の問題にとらわれることなく、自身のキャリアプランに従った行動をとることで、想像もしなかった世界が開けるかもしれません。私は採用終了から10年以上が経ちましたが、採用当時の自分が見聞きし想像していたよりも、遥かに刺激的な毎日を送っています。本記事を読んでいただいた皆様にも、輝かしく、刺激に満ちた未来が待っていると確信していますので、今後のご活躍を心より応援しています。

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